ブラッドサースティ・ブッチャーズ吉村さんとの会話

5/27にブラッドサースティ・ブッチャーズのVo.&Gの吉村さんが急性心不全のためお亡くなりました。ライブは2回ほどしか見たことありませんが、貴重なROCK ミュージシャンを一人失ったことは否めません。

いつまでも悲しんでても仕方ないんで、面白いエピソードをここでひとつ。

それは昨年の12月の中ばのこと。モーサムの百々さんがソロでゲスト出演するとのことで、ウミネコサウンズ主催のイベントで渋谷 O-nestへ行った。そしてライブ終了後、下のラウンジで酒を飲みながら一服しつつ、同じくラウンジにいる出演者たちを眺めていると、「おい!ハゲ! ハゲ!」と何やらうるさいオッサンの声が・・・そちらを見てみるとバーカウンターに立ってる坊主のオッサンが百々さんに向かって言ってるようだ。
ん?どっかで見たことある人だなと頭をフル回転させてやっとブッチャーズの吉村さんだと気づくと同時に、昨年のフジロックの屋台でやってたオカマバー『スナックひで子』での女装姿も思い出す。キャンプサイト入口にあった屋台で、吉村さんはロングウィッグにドレス、ハイヒール姿で「ひで子ママ」としてフジロッカーたちをおネエ言葉で接客し、悩み相談なども受けていた。硬派なバンドマンというイメージがあったので、この姿には驚いた。私も話し掛け、記念に美しいヒデ子ママの写真を撮らせて貰った。

話は戻るがそろそろ帰ろうかと友人たちとエレベーターの方へ向かって行ったら、そこには吉村さんの姿が。酔っ払い特有の怪しい目つきで私たちをジロリと一瞥し、無言でエレベータ待ちをしていた。なんかヤバそうな緊張感・・・ビビリながらも一緒に乗り込んだ。
「・・・・なんか出そうだ」
重苦しい無言の中、ボソッと吉村さんが呟いた。
ん?なんだろ?
「とくに後ろの方…」
あ、分かった屁だ!
私と友人たちは同時に気づき、そしてここが逃げ場がない個室だという事にも気づく。
「や、やめて…」
特に吉村さんの真後ろにいた友人は本当に勘弁してくれって感じで言ってた。
だが、このやり取りでその場の空気が和んだ気がしたので、フジロックの「ひで子ママ」話を振ってみたら、なぜかオカマ口調で返答してきた。結局、吉村さんの放屁から免れてエレベーターから無事脱出。さようなら〜とか言って吉村さんとは別れるのかと思っていたら、渋谷駅まで同じ道のりを一緒に帰る事なった。しかも普通だったら10分ぐらいで着くところを30分掛かるハメとなってしまったのだ。ある話題で吉村さんが暴走してしまったんでね。
最初はあたりさわりもなくひさ子ちゃんの話を振ってみた。
「LAMAとかで忙しい感じですか?フジの時とかレコーディングで悩んでるとか話してたじゃないですか?」
「…ああ、そうだな」
なんだか盛り上がらない。どうしたもんかと何気なく
「最近、ブッチャーズってどんな感じなんですか?」とブッチャーズの話題を振ってみたら、
突然ピタッと吉村さんが足を止めて、顔を歪めて睨んできた。
「今ツアー中だよっ!」
「あ、ああ、そうだったんですか…」
ひ〜っ!地雷踏んじゃったか!?こりゃマズイ…とビビっていたが、
とにかく吉村さんは不機嫌そうな顔で呟きながら歩き始めた。
「お前らライブ来い!百々なんて行ってもしゃあないだろ」
「え〜っ、百々さんのライブは行きたいんですけど…」
「ライブ来ない奴は死刑だ!そんで『鼻毛』出てる奴も死刑だ!」
なんでここで『鼻毛』!?
しかもコレで吉村さんはスイッチが入ったらしく『鼻毛』暴走が始まった。

「オレは鼻毛には厳しいんだ!」
「鼻毛出てる奴は死刑だ!」
「オレの学校の校則に鼻毛出てる奴は校則違反だ!」
「高校の正門で鼻毛出ている奴のチェックして、出てる奴のをむしり取ってた!」
「とにかく鼻毛は出ちゃいかん!オレがむしり取ってやる!」
「オレは自分さえ毎日むしり取ってるんだぞ!」
道玄坂の真ん中で、鼻の穴に指を突っ込んで鼻毛むしりを実践しようとしたり、道行く人の邪魔をするように立ち止まったり、フラフラ歩いたりして、『鼻毛!』『鼻毛!』を連発する吉村さんには参ったけどマジに笑えた。本当はもっといろいろ言ってたと思うけど、支離滅裂過ぎて覚えてない。
「アーティストでも鼻毛出てる奴はダメだな!オレが注意してやる!」
「じゃあザゼンの向井さんとかも鼻毛出てそうですか?」
「……」
あれ?無反応?昔一緒にツアー回っていた仲なのに。
イースタンの吉野さんとかどうですか?」
「アイツは出ていそうだな」
最後にこの会話で30分程続いた『鼻毛暴走』は終息したと思う。駅前のスクランブル交差点にも着いていたし。
駅に入り山手線にホーム向かったらこれまた吉村さんも同じ方向だった。
電車に乗り込むとさすがに公衆の面前という認識もあるのか、吉村さんは口数少なく大人しくなり、吉村さんと私たちのに妙な沈黙が流れた。それに耐えられなくなったのか、おむろにもぞもぞと肩掛けの小バックをあさり始め「いいちこ」の小瓶を取り出そうとしたが、友人が「こんなところで飲んじゃダメでしょ」みたいに言って止めていたような気がする。もう完全にただの酔っ払いオヤジである。そのまま静かになった吉村さんとは新宿で別れたが、後日、高田馬場までご一緒していた友人に最後どうなったのか聞いていると、暴走する事もなく吉村さんは「気をつけて帰れよ」といい別れの挨拶を残して帰っていったそうだ。
この一件があってから吉村さんを『鼻毛おじさん』と友人たちと密かに呼んでいたのだった…。

ブッチャーズを知らない人がこの話を読んだら、ただの酔っ払いおやじに絡まれた体験談にしか思えないだろう。でも吉村さんが率いてたブラッドサースティ・ブッチャーズは凄いバンドだった。

忘れられないライブがある。
99年10月にフレーミングリップスの対バンで見た時のこと。
オールナイトのイベントでフレーミングリップス終了後、真夜中2時頃にブッチャーズがやっていた。メインも終わり閑散としたフロアの中、ステージの薄暗い青い照明に照らされた3人の男たちは、黙々と自分たちの音を鳴らしていた。何も喋らず、ときどき曲のタイトルを言うぐらいで。そのストイックで硬派な姿は、前まで見ていたフレーミングリップスの華やかなライブと対象的で、すごくカッコ良く見えた。最後「△」という曲で、フレーミングリップスが演出としてばら撒いた紙吹雪を蹴散らしながら、飛び跳ねてた記憶がある。

やっぱり惜しい人を亡くました。
天国でもギターかき鳴らして歌ってて欲しいものです。